鳥獣戯画はこちら

鳥獣戯画コレクション

鳥獣戯画 グッズ

鳥獣戯画グッズの入手方法は? どんなグッズがあるの?
そんな疑問にお答えします☆

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
〜梁塵秘抄より〜


鳥獣戯画の世界にようこそ



鳥獣戯画について


兎・猿・蛙などを生き生きと擬人化して描かれた動物戯画。日本のアニメ・漫画の原点。そればかりではありません。知っているようで意外に知られていない、鳥獣戯画についてのお話です。


国宝「鳥獣人物戯画」とは
高山寺について
「鳥獣人物戯画」の苦難の歴史
今に伝わる鳥獣戯画たち
「鳥獣人物戯画」の当初の姿は?
「鳥獣人物戯画」の作者について



 HOME〜鳥獣戯画は、こちら

 鳥獣戯画について

 コレクションと入手方法
 ├京都便利堂のグッズ
 ├東京国立博物館オリジナルグッズ
 ├遊中川さんのモノ
 ├嵩山堂はし本さんのモノ
 ├其の他
    ☆お茶
    ☆器(うつわ)など
    ☆手ぬぐい
    ☆Tシャツ
    ☆文房具など
    ☆小物など
    ☆本
   
 高山寺にて

 鳥獣戯画グッズのショッピング

 リンク集

 自己紹介


国宝「鳥獣人物戯画」とは

兎、猿、カエルなどの動物たちが野山で遊び戯れるさまを、擬人化してえがいた絵巻。。。それが「鳥獣戯画」として広く親しまれている絵巻です。実は、この動物たちが描かれた有名な絵巻は、全部で4巻からなる国宝「鳥獣人物戯画」の最初の一巻、甲巻にすぎません。
国宝「鳥獣人物戯画」は、全部で甲・乙・丙・丁巻の全4巻から構成されています。甲巻は兎・猿・蛙などの動物を擬人化した鳥獣戯画、乙巻は動物を写生した写生図、丙巻は前半が人物を戯画化した人物戯画図、後半が動物を戯画化した鳥獣戯画図、そして丁巻は人物を戯画化した人物戯画図となっています。
このように、「鳥獣」戯画や「人物」戯画を集成したものが、国宝「鳥獣人物戯画」絵巻全4巻の全貌なのです。
(ちなみに、この4巻を甲・乙・丙・丁と呼び習わしてきたのは、明治の頃からだそうです。一・二・三・四ではなく甲・乙・丙・丁と呼ぶところが時代を感じます。)

このページのTOPにもどる

高山寺について

国宝「鳥獣人物戯画」絵巻全4巻は、京都の栂尾(とがのお)にある高山寺に伝わっています。高山寺の創建は奈良時代(宝亀5年−774年)と伝えられますが、実質的な開基/中興の祖は明恵上人(みょうえしょうにん・鎌倉時代)です。
高山寺は洛西の古文化財の宝庫と称されるほど、多くの文化財・美術品を現代に伝えるお寺です。国宝「鳥獣人物戯画」もその1つですが、現在では東京国立博物館(甲・丁巻)と京都国立博物館(乙・丙巻)に寄託(所蔵は高山寺のまま、保管を委託)されています。
楓の古木が茂り森閑とした境内は国の史跡に指定されており、紅葉の名所として知られています。栄西禅師が中国から持ち帰った茶種を開祖・明恵上人が植えたという日本最古の茶園の伝承があり、日本のお茶の発祥の地と伝えられています。石水院(国宝)は、明恵上人の住居跡と伝えられており、こけら葺の簡素なたたずまいで、鎌倉時代の住宅建築をしのばせます。
なお、高山寺は、平成6年12月に、古都京都の文化財として他の16寺社および城とともに、「世界文化遺産」に登録されました。

このページのTOPにもどる

「鳥獣人物戯画」の苦難の歴史

ところで、この国宝「鳥獣人物戯画」絵巻は、最初から全4巻の形式で作成されたわけではなく、幾多の変遷を経て現在の姿になったにすぎないことがわかっています。

その理由は。。。
国宝「鳥獣人物戯画」全4巻は、その画風などから、それぞれ筆者および成立年代が異なることが客観的に明らかとされています。大雑把にいうと、@甲巻(鳥獣戯画)と乙巻(鳥獣写生図)、A丙巻の前半(人物戯画)、B丙巻の後半(鳥獣戯画)、C丁巻(人物戯画)、の4つの画風に分けられます。
また、国宝「鳥獣人物戯画」は、錯簡(順序を間違って継がれた部分)や逸失(失われた部分)が散見され、成立当時の姿から何らかの理由で分断され、その後継ぎ合わされたことが推測されています。
実際に、高山寺に伝わる国宝「鳥獣人物戯画」絵巻4巻以外に、もとは「鳥獣人物戯画」の一部であったと推測される「断簡」(判明しているだけで5つ)が存在し、さらに、現在の姿になる以前のある時点で「鳥獣人物戯画」を模写したと思われる「摸本」(判明しているだけで3つ)が存在しています。
つまり、成立当初の「鳥獣人物戯画」は、高山寺に伝わる国宝「鳥獣人物戯画」絵巻全4巻とは相当異なった様相(巻数や構成など)を呈していたことが推測できるのです。

それでは、いつ、どのような理由で「鳥獣人物戯画」は分断・散逸したのでしょうか。。。
成立当初の「鳥獣人物戯画」がこのように分断・散逸した原因となった出来事について、高山寺で発見された一片の反古(ほご)文書がきわめて重要な記載を伝えています。それによると、1547年、細川晴元が神護寺および高山寺に火を放ったため高山寺が炎上し、寺僧たちが焼け残った絵巻類(シャレ絵−獣物絵)を拾い集めておいたこと、寺の復興の際にはふたたび経蔵に秘め置くべく注意を促すことが記載されています。
おそらく、この細川氏による高山寺の焼き討ちによって、それまで高山寺に収蔵されてきた鳥獣人物戯画(これが如何なる構成・巻数かは不明)が散逸ないし焼失し、その後おそらく高山寺の復興の過程で、現在伝わる国宝「鳥獣人物戯画」絵巻全4巻の姿に修復・構成されたのであろうと考えられています。

ところで、この「鳥獣人物戯画」は、近世初期のころには、早くもいくつかの図様が巻物から切断された状態−「断簡」−で世間に流布しました。そのうち、東京国立博物館蔵、益田家旧蔵、米国・マーチン氏所蔵の断簡(現在はブルックリン美術館蔵)、MIHO MUSEUM所蔵の断簡など、現在まで確認できるものが5つあります。また、「模本」と呼ばれるもの、すなわちすでに原本を失っているが、その模本によって散逸した図様を推測できるものも3つあります。

ここで、鳥獣人物戯画のたどった苦難の歴史を簡単に図にまとめると、次のとおりです。


※アソビウサギがまとめた参考図


成立当初の
鳥獣人物戯画
(巻数や構成は不明)


高山寺に収められる
(その経緯は不明)


1547年、高山寺炎上
寺僧が焼け残った絵巻を拾い集める

高山寺において修復される?


幾多の手を経て・・・




絵巻の形に復元?

高山寺で保管





高山寺に所蔵
国宝
「鳥獣人物戯画」
甲・乙・丙・丁


絵巻から
逸失・散逸?


持ち主を
点々とする


各所に所蔵
断簡
甲巻系:4つ
丁巻系:1つ


ある時点で、その当時存在した絵巻等を模写?





各所に所蔵
模本
3つ



このページのTOPにもどる

今に伝わる鳥獣戯画たち

次に、これらの「断簡」や「摸本」について話をすすめましょう。高山寺に今も伝わる、国宝に指定された「鳥獣人物戯画」のほかに、現時点で存在と所在が知られている「断簡」と「模本」類は、次のとおりです。

<断簡〜甲巻系:甲巻の一部と思われる>
東京国立博物館所蔵断簡
□益田家旧蔵断簡(実業家・茶人の益田孝翁がかつて収集し所蔵していたためこの名がある)・・・現在は個人蔵
□高松家旧蔵断簡・・・米国A.マーチン氏を経て現在はブルックリン美術館蔵
□MIHO MUSEUM所蔵断簡

<断簡〜丁巻系:丁巻の一部と思われる>
□MIHO MUSEUM所蔵断簡

<模本>
□住吉家伝来模本
□長尾家旧蔵模本・・・現在はホノルル美術館蔵
□京都国立博物館所蔵模本(狩野探幽によってよる模写。長尾家旧蔵模本から更に模写したものとされる。)

ちなみに、益田家、高松家・・・は、明治時代ころまでに収蔵していた家の名を借りて呼び習わしているに過ぎず、益田家や高松家等々の以前の持ち主の変遷が、ある程度は、明らかになっています。但し、それ以前にどのような経緯をたどってきたのかを当初まで遡れる断簡/模本はありません。

鳥獣戯画がたどった歴史からみて、上記以外にもまだ未発見の断簡や模本が存在している可能性を完全に否定することはできないでしょう(旧家の蔵の奥深くに埋もれているとか、価値の知られないまま所蔵されているとか)。さらにいうと、日本の歴史のはざまで、焼失したり散逸した貴重な文化遺産の何と多かったことか、現在まで伝えられている貴重な美術品などがそれらのほんの一端でしかないであろうことも、あらためて指摘するまでもないでしょう。

さて、上記の断簡や模本ですが、それらにどのような絵が描かれているのか、簡単にご説明いたします。

<断簡〜甲巻系>
東京国立博物館所蔵断簡・・・カエル、狐、猿、猿、カエルの5匹が擬人化された図柄
□益田家旧蔵断簡・・・鹿に乗るサルと、狐に乗るウサギの「競馬」の場面
□高松家旧蔵断簡・・・(益田家旧蔵断簡から一紙文を隔てた次の画面と思われる)鹿が騎上のサルを振り落として走り去っていく場面
□MIHO MUSEUM所蔵断簡・・・擬人化された動物たちの一団の場面

<断簡〜丁巻系>
□MIHO MUSEUM所蔵断簡・・・相撲に興じる力士と騎馬人物を描いた場面

<模本>
□住吉家伝来模本・・・全部で5巻からなる。@ウサギとサルの遊戯(甲巻+囲碁の図)、Aウサギとサルの遊戯(競馬・蹴鞠・舟遊管弦)、Bウサギとサルの遊戯(丙巻後半の獣物絵)、C僧徒囲碁巻(丙巻前半の人物絵)、D丁巻(但し、鼓に合わせ男が踊る図を欠く)
□長尾家旧蔵模本・・・甲巻と一部重複しつつ他の場面を含む。2巻仕立て
□京都国立博物館所蔵模本・・・「住吉家伝来模本」のAウサギと去るの遊戯(競馬・蹴鞠・舟遊管弦)の巻頭部分と、東京国立博物館所蔵断簡の図様をとどめる。

このページのTOPにもどる

「鳥獣人物戯画」の当初の姿は?

国宝「鳥獣人物戯画」絵巻の作成当初の姿を復元すること。これが、日本絵巻の研究における大きな課題の一つとなっています。残念ながら、その答えをここで皆様にお見せすることは、かないません。。。
ただ一つ、その際、国宝「鳥獣人物戯画」絵巻全4巻の分析のほか、「断簡」や「模本」をもとにして考証していく、という研究方法を理解されたうえで、今後多方面で鑑賞されるなら、皆様の興味も深まることと思います。
今年(平成19年)の秋、11月3日(土)から12月16日(日)に、サントリー美術館で開館記念特別展として「(仮称)鳥獣戯画がやってきた!−国宝『鳥獣人物戯画絵巻」の全貌−」展が開催されます。その際、全4巻の一挙公開はもちろん、「断簡」や「模本」も展示されるそうですので、是非、以上の説明を足がかりに、「鳥獣戯画」の魅力をさらに味わわれてください。

このページのTOPにもどる

「鳥獣人物戯画」の作者について

「鳥羽僧正は近き世にはならびなき絵書(ゑかき)なり。。。」

これは、古今著聞集巻第11に書かれた逸話の書き出しです。
このように、鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう・1053-1140)は「ならびなき絵書」とされていたことや、彼がユーモアと風刺精神にとんだ「戯画」の名手であり、平安末期の世相をよく風刺していたことから、「鳥獣人物戯画」は鳥羽僧正の作と伝えられています。

ところが、作者が鳥羽僧正であると伝える最初の記録は、17世紀半ば頃であり、しかも同時代の記録では別人を作者とする有力な記録もあります。現在のように鳥羽僧正が作者であると広く言い習わされるようになったのは、江戸中期以降のことです。

しかしながら、前述のとおり、国宝「鳥獣人物戯画」絵巻全4巻は、大雑把に4つの画風で描かれているため複数の作者によって描かれたとする説があり、鳥羽僧正の作という点に少なからぬ疑問が生じてきます。鳥羽僧正の作であるとする明確な資料はなく、鳥羽僧正が作者の一人であったかどうかすらも明確ではありません。

遊びをせんとや生まれけむ
戯(たわぶ)れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声きけば
わが身さへこそゆるがるれ

これは、梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の中の今様(いまよう)のひとくだりです。鳥獣人物戯画の動物たちのこっけいな愛嬌のある姿も、鳥羽僧正のユーモアと風刺精神も、この梁塵秘抄の今様と同じように、時代を超えて現代の私たちの心に懐かしく訴えかけてくる点で共通してはいないでしょうか。だからこそ、「鳥獣人物戯画」の作者は鳥羽僧正であるという伝承が、今に至るまで根強く伝えられ支持されててきたのだと思われてなりません。


参考文献:
□小松茂美「鳥獣人物戯画−漫画の発生」(小松茂美著作集第32巻所収)旺文社
□小松茂美・上野憲示「鳥獣人物戯画」中央公論社
□京都府WebSite


このページのTOPにもどる


鳥獣戯画グッズのショッピングは、コチラ↓

鳥獣戯画の ショッピング


HOME
TOPページへ

Copyright (c) 2007, chojugiga.com. All rights reserved.

このホームページ内の全ての文章・画像等の無断転載・改変・利用行為、そのほか著作権侵害となる一切の行為、
ならびにいかなる違法行為をも、けっしてなさらないように心からお願いいたします。